読書感想文「四畳半神話体系」・バームクー軒

 

所望、腐れ文化系大学生向けの小説であり、普段は物語の陰に隠れがちな腐れ文化系大学生である主人公たちが非常に魅力的に書かれている。もう腐れ文化系大学生感涙の傑作である四畳半神話大系なのだが、いったいどこから話せば良いものなのか。

 

俺は昔、いや、違うな。我々は昔、夢と希望にまみれた大学生であり永遠の19歳でもあった。

永遠の19歳であった頃の我々は、各々が世界で一番クールな男、もしくは女を自認し、この世界の果てまでの全ての事象に見解を持ち、命や宇宙の神秘を解き明かせると信じ、今だけを生き、全ての過去を失ったとしても一瞬先の未来にこそより大きな希望を感じ、何よりも永遠の19歳であり、永遠の19歳であることによって無敵であった。

しかし、いつの頃か、学業に躓き、体力の限界を感じ、異性との健全な交友に失敗し、その他の様々な壁にぶち当たるうちに、その自信に揺らぎが生まれてしまっていた。そんな中である。一瞬、ほんの一瞬の油断である。本来持つその実力から鑑みれば、そういったことになったこと自体が悲劇と言える低い確率の中でそれは起こったのだ。無敵なはずの永遠の19歳だったの自分は、ほんのちょっとしたつまずきで、うっかり死んでしまったのだ。

そして気が付くと、永遠の19歳だった前世の記憶を抱えたまま、終わらない23歳の夏休みを過ごしていたのだ。19歳の自分が、理不尽な事故で、死んでしまったという事実に怒り悲しんだ。そしてその心の穴を埋めるために戦うことになるのだ。比喩ではなくチャリを漕ぎ続けて。

 

まあ、後半の話は小説の中身と関係無いです。とにかくこの小説の主人公は最初の3章までは降りかかる危機を最終的にはのらりくらりとかわしてしまうのだが、最終章ではうっかりこの世の虚無の深みのような落とし穴に落っこちて死んでしまうのだ。この死ぬは比喩だが、彼の実力から考えれば相当の悲劇だったと言える。

彼はその終わらない23歳の夏にも似た永遠と続く虚無の中で思い出すのだ。あの糞みたいな日々の中で必死に生きていた自分を。今をもがきながら必死に生きていた自分を。よく言われるように、残念ながら人間は過去を悔いて未来を憂いながらは生きられない。今を必死に生きるしかないのだ。そのことを思い出す時に、いかに自分が必死に生きてきたのか、そうするしかなかったのかにも気が付かされるのだ。そして、それに気が付いた瞬間に19歳の自分が蘇るのだ。

最後に主人公は再び日常に戻ることになる。その日常の中で、あの糞みたいな親友も、一筋縄ではいかない先輩たちや、クールな後輩や、世界中のいろんな人たちや、猫ラーメンなどそのすべての物がとても愛おしいものとして彼の前に現れるのだ。我々の現実もそうじゃない?そんな気にさせられる小説である。多分ね。

 

最後に、夜は短しの映画も面白かったです。数年ぶりに映画館に行ったよ。