「パブリックエネミー」 密室殺人事件上
極上のスイートルームだった。
海と船とカジノが連なる風光明媚なこの土地に、灯台のごとくそびえるホテル、その最上階が丸々使ったこの部屋は、今回の指令の舞台だった。
外側の壁は全面ガラス張りにされていて、見下ろす窓辺には星空のような夜景がパノラマに広がっている。部屋の灯りはモーションセンサーで自動で点くし、中の家具もスタイリッシュでお洒落、でかいテレビは六百チャンネルも映る。部屋に入るのだって、屋上からヘリで乗り付けて支配人としか会わないとか、違う意味で住んでいる世界が違っていた。
こんな生活で言うのもアレだけど、この部屋が凄いのはわかる。
(ねぇイゼベル、この素敵なお部屋はご褒美だったり?)
(違います)
(だよね。それで概要は? まだ何も聞かされてないんだけど)
(こちらにも今来ました。待ってください、今まとめますから)
(待ってるよ)
答えてから無線を切る。
ただ待つのも何だから部屋のなかを見て回る。
先ずは玄関だ。
電子ロック式の自動ドアに監視カメラ、網膜スキャナーもあったけどこの体には使えない。カメラの映像はドアの内側の画面に出ていて外が安全かよくわかる。
次にリビング。広くて、でかいテレビがあって、一面のガラス窓がある。それが部屋の南側の大半を閉めていた。パーテーとかするんだろうな。
並んだ小部屋はでかい冷蔵庫とコーヒーメーカーだけのキッチンにガラス張りのトイレ付きのバスルーム、トイレよりも広いクローゼットにベットルームが二つある。
ベットはどれもでかいのにフカフカみたいで、この機械の体か乗っても十分に耐えてみせた。スプリングを軋ませながらベットサイドの端末を手に取る。にしても何でこんなところにパック詰めの風船が箱でおいてあるんだろう? まぁいいや。
ホテルのルームサービスを呼ぶものらしく、画面には細々とメニューが並んでいた。それをいじっていると、イゼベルから連絡が来た。
(概要を説明します。今回は殺し屋が相手です)
(シリアスだね。私らが出るってことは、相手は人間じゃないの?)
(わかりません。それを調べるのも、今回の指令です)
(調べるって、鑑識みたいに?)
(……最初から説明しますね。今年になってシェイドと名乗る殺し屋がデビューしました。正体不明で、依頼はネット経由で報酬は銀行口座に、すでに七名を殺害しています。手段は絞殺が多いですが撲殺や刺殺もありますが、全ては接近しての犯行です。問題は、その内のいくつかが完全な密室で行われました)
(なかなかのサスペンスね)
(更にその中の一つがまさに今、エリアがいる部屋で行われました)
(えーと)
(この部屋の被害者は下克上に失敗したギャングで、死因は絞殺でした。部屋には彼一人だけで、部屋はホテルのセキュリティに守られ、更に外を警察が見張っていました)
(なのに、殺された)
(そうです。首の骨が折られてました。その後の鑑識でも侵入経路はわからず、室内は綺麗に掃除されていて証拠は出てません。あまりの手際に、自殺論まで出たのですがしかし、上はオカルトを知っています)
あーそういうことか。
(もう一度やってみるの? 私で?)
(…………そうです)
イゼベルの返事に思わず天井を仰ぐ。綺麗なシャンデリアが輝いていた。
まぁ、サイボーグなら簡単には殺せないし、最悪死んでもイゼベルが全部見てる。
囮には最適だと、自分でも思う。
思えても、凹む。
(向こうに依頼はしてあります。後は、来るのを待つだけです)
(そう。目的はそのシェイドとやらの正体を知ること?)
(それは三番目です。二番目は手段を知ること。最優先は、エリア、あなたが生き残ることです)
イゼベルは、何でもお見通しらしい。
(エリア、あなたには私がいます。だから一緒に殺し屋をやっつけましょう)
(うん。一緒にがんばろう)
で、元気とやる気を取り戻せたのは良かったけれども、だからといってこれといってやることがないことには違いなかった。何せ相手が仕掛けてくるまでひたすら待機するしかなかった。
キッチンの冷蔵庫には高そうなお酒が並んでた。何本か引き抜いてみると、全部度数がやたらと高かった。この体では呑めないから意味はない。
秘密の指令中だからルームサービスを呼ぶわけにもいかない。マッサージも機械の体じゃ気持ちよくない。六百あるチャンネルも、大半がスポーツか競馬かポルノかで、楽しくない。イゼベルとお喋りしたくても、あっちはリアル、サイバー両面での監視で忙しくて構ってくれない。
仕方ないのでベットに寝そべって、置いてあった端末をいじることにする。
変なの見つけた。ジェスチャーゲームの相手、しかも一流のパントパイマーを呼べるとか、よくわからない世界ねぇ。
(エリア、定期的に見回りに出てください)
(はーい)
怒られてしまった。
軋むベットから立ち上がってリビングへ。
そこは真っ暗だった。
おちゃらけた気分が冷えて消える。
右手に銃を構える。
灯りが点かない。
窓からも、夜景の光が見えない。
(来たみたい)
イゼベルに告げてから視界を暗視カメラに切り替える。
人影はない。
家具類に変化もない。
灯りには何か、液体が塗りつけられてるみたいだ。触ってみる勇気はない。
ドアが半分開いてる。
トイレのドアだ。
罠っぽいけど、確認しない訳にはいかない。
恐る恐るトイレへ。ドアの前に立ち、忘れてた銃の安全装置を外す。
刹那、首に何かが巻きついた。音もなく一気に締め上げてくる。
エアタンク内蔵のこの体は首を絞められても苦しくない。だがフレームの軋みが尋常でない痛みとなって脳に伝わる。
痛い痛い痛い痛い!
このダメージは、力は、人のものとは思えなかった。
とにかく反撃しないと。
右手の銃を左の脇をくぐらせて真後ろに発砲する。
ニ、三、四、連射したのに力が弱まらない。
左手で巻き付いてるモノを掴む。指のセンサーが雑だからよくわからないけど、太くてかなり弾力がある。
そんな間に締める力が強まる。
痛っっいなあもう!
銃がダメならスタンガンだ。掴む左手から力を抜いてそれを電力に変えて指から放つ。
バチリと火花が光る。
それで首に巻き付いてる何かが震え、引っ込んだ。
よし。
痛みからの解放と共に振り返り、銃を構える。が、そこには何もいなかった。
速いのか透明なのか、考えながら首を擦る。
と、音がした。
見ればドアの一つが半分開いていた。隙間から僅かに光が漏れてる。
キッチンだ。
リロードして、銃を構え直して向かう。
得られたデータは少なくない。
銃は効かなかった。
電気は効いた。
音もない。
姿も見えない。
力も強い。
首に触れた。
ドアも開けてたし、実体はある。
オカルトでないならなら、やれる。
壁に背を付け、そっとしゃがんでドアの隙間から中を覗く。
光は、半開きの冷蔵庫からだ。
人影は、ない。
隠れられそうな場所も見あたらない。
何処に行った?
ドアの先を伺っていると真上で何かが動いた。反射的に銃口を上げると、シュルリと手首に何かが巻き付いた。
電気のコードだ、と思うと同時に一気に引っぱられた。抗う前にコードが体に絡み付いて、気が付けば両腕と左足がガッチリと縛り付けられてしまった。間抜けな格好でもがくも関節が決まってるのか引き千切れない。
ヤバイ。
焦りながら辛うじて自由な右足で何とか床を転がり逃げようとする。だけど上手くいかない。
そうこうしているうちに、ドアが開いた。
そして現れたのは、鮹だった。
黄色で不気味な目、皮膚は紫に近い赤色で、人の頭程の頭に太く長い足、その一本一本が、伸ばせば1メートルは届きそうだ。そしてその足は、何処から持ってきたのか赤い消火斧を絡めて引きずっていた。
鮹は意外にも素早く床を這い、転がる私の頭の方に来た。
そして器用に消火斧を頭めがけて縦に叩きつけてきた。
こんの!
咄嗟に自由な右足で床を蹴るも体が回って反転しただけで逃げられない。
ガツリ、と衝撃と痛みが響く。
が、当たったのは反射的に引いた右足の脛だった。
センサーが激痛を伝える。
流石に装甲は破かれたみたいだけどまだ動く。
鮹が斧を引き戻すのに合わせて右足の蹴りをその頭めがけて突き出した。
鮹は素早い動きで後ろに下がり避そうとする。
だが、爪先から飛び出たナイフからは逃げられなかった。
普段は鈍いセンサーが、この時だけは生々しく、軟体動物を切り裂く感触を伝えてきた。
鮹は悲鳴を上げないみたいだ。ガタリ、と斧を落として鮹は逃げていった。
「逃がすか!」
とは言ったものの縛られたままでは追えない。かなり間抜けな格好になりながら右足のナイフでコードを切り、自由になる。
銃を構えて立ち上がると、鮹は見えなくなっていた。
代わりに黒い、血だか墨だかの跡が続いていた。跡はトイレに続いている。
そして水の流れる音がした。
(バッチイ)
イゼベルが私の言いたかったことを代わりに呟いた。