「パブリックエネミー」カップルハント下

信じられない光景だった。
銃撃戦は母国にもあった。けど、これはまるで、映画だった。

 


だけどこれは現実、目の前で起こってること。
女はコートを正して、自分の銃を拾った。
そして、女と目が合った。
返り血で汚れたその目は、その顔は、その姿は、もう死神にしか見えなかった。
逃げたい。
逃げ出したい。
だけど、後ろに彼女がいる。
逃げるわけにはいかない。
視界を走らせて足元に片手サイズの鉄パイプを見つけた。
それを拾って振り上げる。
これでは戦えない。わかっていてもしょうがなかった。
こっちが震えるのを必死にこらえてるのを見て、死神は銃をしまった。
そして両手を挙げて見せた。
「あなたは私の的ではありません」
母国語、だけど発音が変だ。
「私はあなたたちを助げっ!」
死神が真横に、壁まで吹っ飛ばされた。
吹っ飛ばしたのは、あのワニだった。伏せた格好でも届くほど長く、太い尻尾だった。
「電撃とはけったいな。だが弾丸弾く身体に効くかよ」
ベッとワニは赤い唾を吐き捨てた。
「だが痛かったぞ!」
怒鳴り、ワニは目の前のベルトコンベアを掴んだ。恐ろしい音がしてベルトコンベアが、そのフレームが引き剥がされて持ち上げられた。
それが音もなく投げられる。
死神は立ち上がるが間に合わず、壁との間に挟まった。破壊音と破片が辺りに撒き散らされる。
「まだだ!」
ワニは叫びなが歩みより再びベルトコンベアを掴むと持ち上げ、叩きつけた。
ベルトコンベアがひしゃげてスクラップの山になっていく。もう死神は見えない。
何度も何度も繰り返される桁違いの暴力に、圧倒されて、黙ってみてた。
「誰か! どうなってるんですか!」
彼女だ!
目が覚めた。
声は後ろの、鉄の扉の向こうから聞こえた。鎖で縛られてるけど少しだけ開いてる。
彼女がいる。
だけどそれに答える前に、扉を飛んできたスクラップが凹ませた。
「開けたら潰すつったろうが!」
ワニが牙をむく。
「ったく、早々混ぜるなっつったのによぉ」
ボソリと呟いた言葉に疑問を持つ前に、ガラガラとスクラップの山が崩れて、死神が現れた。
その顔は、驚きと怒りが見てとれた。
「怪物が。どんだけじょ!」
今度はワニの開いた口にスクラップが投げ込まれた。
ワニが噛み砕き、吐き捨ててる間に死神が駆け寄っていた。
そしてラッシュ、息つく暇もなく拳が乱れとんでワニの体を滅多打ちにする。その一つ一つがヒットする度火花が散った。
「ぐぞが!」
ワニも爪を振るうも死神はそれをくぐりかわしいなす。
二人の戦いは異次元だった。
……逃げないと。
鉄パイプを握りしめ扉へ。巻き付いた鎖を殴る。
ガシャリと扉に、死神がぶち当てられていた。ズルリと滑り降りて腰を下ろしてる。
振り替えればワニが牙剥き出しに吠えていた。
「バカ女ども! 全員四肢切断だぁ!」
息巻き近づいてくるワニ、恐怖しかない。なのに、それに死神は立ち上がって立ち向かった。
力強い踏み込み、だけど拳が振るわれる前に、ワニの手が首を掴んで吊るしあげた。
暴れる死神、ワニは微動だにしない。
「こんなもんかよ最高国家! そんなんで正義の味方名乗ってんじゃねぇよ雑魚が!」
ミシミシと軋む音がここまで聴こえる。なのに死神は、手足を垂らして抵抗しなかった。
「……確かに、ね」
死神の声は弱々しく、悲しげだった。
そして光った。
なんの光かわかる前に光は、消えた。
死神の足が床につく。
放したワニは、白目を剥いてドウと倒れた。その腹部からは血が流れて拡がって、辺りに肉の焦げた臭いが漂った。
ワニは……死んでるみたいだった。
訳がわからなくて声もでない。
そして死神の二人きり、対面したその姿は、恐ろしくもあり、美しくもあった。
そんな死神がこちらに銃を向ける。
「そこから、離れなさい」
冷たい声だった。

脅され、命令されるのは初めてじゃない。
だけどソレが嫌だから彼女とここまで逃げてきた。ましてや彼女を置いて離れるなんて、死神に受け渡すなんてできない。
頭の中では勇ましい台詞が浮き出てるけど、心は恐くて仕方なかった。
だから、動けなかった。
「そこから、離れなさい」
また冷たく、今度は強い声、だけど動かなかった。
バンと銃声、持ってた鉄パイプが弾けて半分に千切れていた。
「そこから、離れて」
「……いや、です」
知らずに答えていた。だけどそれが本心だった。
「彼女を置いてなんてできない。引き離すなら、いっそ殺して」
勇気を持って見つめ返す。
死神は、一瞬だけ悲しい表情になって、銃を下ろした。
「中の人は、もう助からない」
……死神は、何を言ってる?
「助からないって、さっきまで普通に話を」
「そうじゃないの」
今度こそ死神は、悲しい、今にも泣きそうな表情になった。
「よく聞いて。あなたたち二人は、とても強力な細菌兵器に感染してるの」
「感染って、そんな元気です」
死神は首を振る。
「あなたと中の人は、別々の、感染力の低い無害な菌に感染していて。これなら検疫にも引っ掛からずに安全に運べる。だけどバイナリシステムって言って、この二種類の菌が混ざり合うと交配して、変異して、兵器になる。そうなったら……」
……何を、言ってるのだ。
「……変異した菌は致死率ほぼ100%で、空気感染もするし……」
言葉が頭に入ってこない。
ここまで来たのは、結ばれるためだ。テロでも、死ぬためでもない。
なのに、細菌兵器って?
話が飛びすぎてついていけない。
「……そこは冷蔵庫だから、見たところ密閉されてるから」
「彼女に、側にいないと」
「だから危険だと」
「いないと」
「だから」
「側にいたいの!」
怒りが吹き出ていた。
「彼女と出会って、愛し合って、引き裂かれそうになって、必死に逃げてきて、それでやっとここまできて、それでなんです? 置いて逃げろ? いい加減にしろ! 私は! 私たちは! ずっと一緒にいるんだ! もう誰にも! 国にも! 神にも! お前にも邪魔させるもんか! 私は! 彼女の側にいる! 最後の、最後までずっと一緒なんだ!」
喉が焼けるほど怒鳴っていた。
白くなるほど鉄パイプを握りしめてた。
それほど怒るほど、現実は受け入れがたがった。
ただ冷静な自分がいて、この人に怒りをぶつけるのは違うと判ってて、少しだけばつが悪かった。
「……発症したらひたすら高熱に苦しむことになります」
「だったらなおさら、側にいないと」
「……あなたが血を、抜かれたのはいつ頃ですか?」
「それがなに」
「答えて」
死神の声に熱があった。ただ、それがなんなのかまでは伝わらなかった。
「……一時間もないはず」
死神は視線を落として、一呼吸置いて、そして銃を構えた。
銃声、金属音、振り替えると扉の鎖が切れて落ちていた。
「一度入ったら、もう開けられないよ」
「……それでも、側にいたい」
真っ直ぐに答える。
死神は、寂しく笑うと目の前まで歩いてきて、持ってた銃を差し出した。
それをどうするかは自ずと想像できた。
だから受け取らないで首を振る。
「自殺だけはしないって、二人で決めてたから」
そう伝えると、死神は銃をしまった。
もう言葉はなかった。
ただ、最後に見せた表情はとても死神と呼べるものではなかった。
そんな死神のことも、扉を開けると消えて、頭の中は目の前の彼女のことで一杯になった。

(チェック終了です。後はアクシデントで扉が開かないよう見張るだけです)
(了解)
(でも今回のエリアは凄かったですよ。ほとんどサポート無しでこの命中率、銃の腕が上がりましたね)
(イゼベル)
(それに最後のパンチ、システムを超えてました。最初だけ力を込めて発射して、慣性で動いてる間に切り替えて電撃、これに名前つけましょうよ)
(イゼベル!)
(……エリアに落ち度はありません。指令はクリアです)
(助けられてない)
(そうです)
(助けられてないの!)
(そうです。これは助けられないんです。これは失敗です。ですが失態ではありません)
(一緒よそんなの)
(違いす。エリアは、全力で、最善を尽くして、スペックまで凌駕しました。だから、エリアは悪くありません)
(そんな言い訳、人が信じても私が信じない。私が許さない)
(エリア)
(ごめんイゼベル。見張りは続けるから、少し一人にして)
(……わかりました。だけどこれだけは、エリアがなんと言おうと、この私は、エリアは悪くないと知っていますから)
(……イゼベル。だけど今だけは、お願い)
(……わかりました)
(イゼベル、ありがと)