「パブリックエネミー」カップルハント上

長かった。
 計画を決めてからはひたすら稼いで貯金した。同時に言葉や地理も勉強し、予防接種までした。身辺調査と費用をクリアし、彼らと接触してもすぐ実行とはいかなかった。着いてからの行動プランやその後の仕事や住む場所の手配に時間がかかったし、さらに安全なルートが開くまでまた時間がかかった。
 長かった。
 それでも、二人だったから耐えられた。彼女がいたから、彼女のためなら、辛くはなかった。
 それも、もうすぐ報われる。

 



 逸る足を止められない。コンテナから出てからずっとこうだ。走り出したいのを抑えて速足になる。
 彼女に会いたい。
 もう少し予算があれば二人分の偽造パスポートが買えたに。でも危険なこっちが大丈夫なんだ、向こうも大丈夫だ。
 彼女の事で頭が一杯になりながらも約束の住所、アパート、一階の角部屋についた。あとは中の人の案内で、彼女に会える。
 高鳴る鼓動を感じながら呼び鈴に指を伸ばす。そして押す寸前で思い出す。呼び鈴を押さないのが合言葉だった。必ずノックしろ、と言われてたんだ。慌てて指を引っ込めて深呼吸する。
 よし。改めてノックのために拳を作る。
 「ギャ!」
 中から悲鳴が危険な聞こえた。短くて小さな声だけど、確かに悲鳴だった。それで、手が止まる。ここに来るまで散々気を付けろと言われてきた。だから、ノックできない。
 ドアにそっと耳をつけて聞く。中からは何か、引きずるような音がしてる。
 行動プランには中に入らない時の対処法はなかった。だからといって無闇に入る訳にもいかない。
 少し考え、庭に回ってみることにした。
 アパートの裏の庭は手入れをしてないらしく雑草がボウボウと生えていた。その中をかき分け角部屋についた。ガラスの窓から中を覗くと、散らかった部屋の中に四本の足が見えた。カーペットの上に、男が二人、重ねるように寝ていた。そこにもう一人、女が入ってきた。
 綺麗な人だった。白い肌に短い金髪でまるで人形みたいだ。白いコートを靡かせて、手には大きな拳銃を持っている。そしてもう一方には男が、頭をわしづかみにされてた。部屋の中に引きずりこむと、寝ていた二人の上に投げ重ね三人にした。
 唐突に、女がこっちを見た。
 青い瞳と目が合う。
 宝石のように美しく、氷のように冷たくて、死人のように魂がない。
 弾けるように逃げ出した。後先なんて考えられない。ただただ離れたくて、走り出した。
 後ろからガラスの割れる音がした。曲がる瞬間振り返るとあの女が飛びだしていた。そして追いかけてくる。
 相手は銃を持っている。とにかくジグザグに走って、外の通りにまで出た。それでもついてくる。しかも速い。
 と、視界にタクシーが目に入った。
 迷わず前に飛びだし手を上げて停める。やや強めのブレーキで停まるとドアが開いた。中に飛び込む。
 「どちらまで」
 黒い肌にサングラスのドライバーが聞いてくる。
 逃げて、だと怪しまれる。ここらの地理はすぐに思い出せない。
 「駅、まで」
 切れ切れの息で答えると、心得たようにドアが閉まり、タクシーは走り出した。
 身を起こして後ろを見ると、あの女が歩道に立っていた。銃をしまい、追いかけてくる様子はない。
 助かった。
 そう安心したらどっと汗が吹き出した。
 呼吸を整えながら考えるのは、とにかく彼女に会うことだけだった。

 タクシー代に所持金の半分を失た。それで着いた駅で地図を手に入れた。
 ディフォルメされた町の絵の中に知っている地名を見つけた。彼女との待ち合わせ場所のショッピングセンターがあるところだ。本来は連れていってもらう予定だったが、あぁなったのだから仕方ない。一人でいこう。
 四苦八苦しながら切符を買って電車に乗る。
 車窓から始めて見る風景は魅力的なはずなのに、あの女と彼女のことが交互に表れて、全然頭に入って来なかった。
 駅で降りてからはただ看板の通りに進むだけで目的のショッピングセンターには簡単に着いた。
 待ち合わせ時間はもうすぐ、プランでは駐車場で待ち合わせだと聞いてたけど、具体的な場所までは聞かされてない。それでも歩き回れば会えるはずだ。プランから外れてても、事情が事情だし、最悪彼女の方から見つけてくれるのを期待するしかない。
 今日は休日なのか、沢山の車が並んでた。その間を端をから見て回る。A、B、Cと回ってDに入る。これで三分の一だ。同じような車が並んでいるが人の姿はない。不安から焦りながらも歩き続ける。
 すると、前を塞ぐようにワゴン車が止まった。驚きで足を止め期待で見つめていると、そのドアが開いた。
 降りてきたのは、希望じゃなく絶望だった。
 あの女が目の前に降り立つ、しかもその体には無数の触手が絡み付いていた。女が一歩踏み出すと、意識があるみたいに触手がほどけて車内に引いてゆく。その全てが戻る前に切り返して来た道へ走り出した。
 頭が真っ白になりながらも足だけは懸命に動いた。後ろから追いかけてくる足音が聞こえてくる。怖くて振り返ることができない。足音が近づいてくる。肩に、何かが触れた瞬間、また別の車が正直に表れた。
 「しゃがめ!」
 ドアが開くと同時に母国語で叫ばれる。
 咄嗟に身を屈めると、頭上から大音響の銃声が響き続けた。
 へっぴり腰のまま目線だけ上げると車内からライフルの射撃が続いていた。その隣の運転席から手招きされている。
 地を這うように車に近寄ると、銃声が止んだ。
 「速く乗れ!」
 また母国語、男の声だ。迷わず飛び乗ると同時に車が走り出した。シートに座ると、あの女が立ち上がるところだった。
 「化け物め」
 ドライバーが苦々しく呟く。
 「あの」
 「わかってる」
 答えたのは隣の男だった。大きなライフルを抱えている。
 「アパートからの定期連絡が途絶えたのは、そういうことだろ。お前だけでも助かって良かった」
 ライフルの男はにこやかな笑顔で言いながらも、ライフルのマガジンを入れ替えている。
 「あれは」
 「敵だ」
 今度はドライバーが短く呟く。
 「この国の殺人マシンだ。他国でもあんだけ殺してるんだ。自国でもよそ者殺しは盛んだ」
 「彼女は!」
 不安からか思ったより大きな声になってたが気にしない。
 「彼女の方は無事なんですか?」
 わずかな沈黙のあと、ライフルの方が笑った。
 「あぁ無事だ。そこに向かっている」
 男の言葉を聞いてももはや安心なんてできなかった。
 彼女に会いたい。
 それだけを願って、黙って車に揺られてた。

 連れてこられたのは、古びた工場だった。広い敷地なのに音も光もなく、今は使われてないらしい。その中から別の男たちが出てきた。手にはそれぞれライフルがある。
 手招きされて中に入ると玄関の受付みたいな場所で止められた。
 「お前とお前は知っている。だがそいつは誰だ」
 言葉は母国語だが質問よりも命令するような、威圧的な口調だった。
 「今回の客だ」
 ドライバーだった男が答えると、出迎えた方の男たちが顔を見合わせた。
 そしてアイコンタクトした後、一人が奥に消え、そしてすぐに戻って来た。手には金属の盆に注射器が見える。
 「悪いが確認として採血させてもらう。いくら敵でもDNAまでは騙せない」
 そう言って注射器を取り出す。
 「彼女は」
 針が止まる。
 「彼女は、無事なんですか?」
 「あ、あぁ。奥にいる。確認がすみ次第会わせてやるよ。だからいいな?」
 答える代わりに腕を捲って差し出した。
 採血が終わると奥へと通された。何かの機械やベルトコンベアが敷き詰められたスペースを抜けて椅子と机がならんた部屋に入れられた。
 中で待つようにと言われたきり、何の反応もない。ただ部屋の外には見張りがいるらしく、声らしき音はする。
 椅子に腰掛けながら、頭の中では彼女と不安が互い違いに溢れた。ただし、今度の不安は、この男たちに対してだった。
 密入国を生業とする犯罪組織、規模は大きくその分費用はかかるが、安心確実でリピーターも多い、調べた結果はこんな感じだった。接触した感じも、なんと言うか、淡々と仕事をこなすだけで、犯罪者としては知能犯だったと思う。なのにここにいる彼らは明るく接してはいるが、ライフルやこの用心の仕方は、まるでテロリストみたいだ。
 それにあの女、敵と呼ばれてたが、ライフルで射たれても平然と立ち上がっていた。あんな怪物を敵に回すにはどんなことをしでかしたのだろう?
 考えは銃声で中断された。叫び声に怒声、さらには爆発音までしている。
 何が起きてるのか、想像がまとまる前にドアが開いて男たちが入ってきた。会った事のある顔もあるが、最後に入って来た男は初めてみた。
 その頭はワニだった。
 他の男たちよりも二まわりも大きく、深緑の肌は光沢がある。
 「敵だ。逃げるぞ!」
 言われると同時に引き立たされる。みな慌ててるようだが、ワニを気にする風はない。
 「こい!」
 そのまま引っ張っられるのを振り払う。
 「彼女は?」
 質問に、男たちは苛立ちの目で返してきた。
 そしてワニが太い腕を伸ばした。首に爪が食い込む。
 「ごちゃごちゃ言うなら、この場で引き裂くぞ」
 ワニの声は引くかった。  「ボス」
 隣の男が止めにはいると、興味を失ったみたいに手を放してさっさと部屋を出ていった。その後に続くよう追いたてられる。
 狭い廊下を何度も曲がると木箱の並んだ倉庫のような場所に出た。男たちは迷わず箱の間を進む。
 突然の銃声に先頭の男が倒れた。
 「散れ!」
 ワニが吠えると男たちがバラける。同時に箱の影に投げ込まれる。
 背中を打ち付けると同時に銃撃戦が始まった。
 ただ相手は見えない。
 男たちが闇雲に乱射する中で目の前の一人が倒れた。その鼻は潰れて穴が空いている。
 「上だ!」
 誰かが指差した方にあの女がいた。キャットウォークを走り、跳んだ。下からの乱射をものともせず一人を踏み潰すとすぐ隣の男の手首を掴んだ。捕まれた方は全身を緊張させ白目を剥いて倒れた。
 女はそれに見向きもせずに拳銃を射つ。
 「化け物め!」
 ドライバーだった男が叫びながら女に突撃する。ライフルの連射は腹に胸に当たってるのに女は怯まない。足先から剱が飛び出すと、一蹴りでドライバーの喉を刺し貫いた。
 倒れかかったドライバーを払いのけると、ゆっくりとこちらを向いた。
 あの死者の目だ。
 奇声と共に別の男が女に襲いかる。女の目線がそっちに外れた瞬間、脱兎の如く逃げ出した。
 目の前の鉄の扉を開いて階段をかけ上ると銃声のしない方へと走り出した。
 逃げないと。
 彼女と一緒に逃げないと。
 ただそれだけを考えて走った。

 大小いくつもの部屋を覗いたが彼女は居なかった。窓から外を見てもまだ車はあるから逃げてないはずだ。もしかしたら初めから居ないのかもしれない。だとしたらあの女からは安全だ。その分、別の意味で危険だ。
 余計なことは考えるな。今は彼女と逃げることだけに集中するんだ。
 両開きのドアを開くといくつものベルトコンベアが並んだ広いスペースに出た。明かりは消えてるが、天窓が太陽の光を取り入れていて明るい。その奥から壁を叩く音がする。
 「誰かいませんか!」
 彼女だ!
 嬉しくて一歩入った瞬間、真横から衝撃が襲ってきた。気がつけば壁まで弾かれて床に倒れていた。痛みで息ができない。
 「違ったか」
 ワニが、長い尻尾をくねらせながらドアの影から表れた。右手にはライフルが、他の男たちと同じライフルなのに小さく見える。
 「騒いだら最初に殺す」
 そう言ってもとの場所に戻ろうと背を向ける。
 天窓が割れた。
 あの女が降ってきて、部屋の真ん中のベルトコンベアに着地した。
 女が立ち上がるのとワニが振り向くのと同時にお互いに射ち始めた。二人とも全身に弾を受けながら隠れようともしない。それどころかワニのほうは一歩づつ女の方へと近づいてゆく。女が突如銃を棄て、同じくワニに駆けよった。そして左手でワニのライフルを払うと空いた右手をワニの鼻先に付けた。
 指先から火花が飛ぶ。
 「ぐあああああ!」
 ワニは絶叫と共に全身を震わせている。アレは電気かもしれない。
 ワニがライフルを落とすと、その巨体が倒れた。