「パブリックエネミー」ゴムは愛情の印 上

空は朝焼け、それをバックにボロいビルがそびえていた。
ここら辺で建てられた中で一番高いビル、というよりも残った中で一番高いビルが正しいだろう。回りは廃墟同然で、崩れ落ちそうな町並みがゴミと落書きで彩られている。
そんな抜きでた高さに更に加えて更に屋上に巨大な看板が建ててあって、ここらだとそれなりに目立つ。
真下からだと角度がついて看板がよく見えない。精々人が写ってるとわかる程度だ。
このビルが、正確にはその看板が今回の指令の目的だった。

 


渡されていた鍵で入ろうと思ったら、既に一階のドアは破壊されていた。
荒らされたエントランスを抜けて外付けの階段を昇る。踏み板の鉄板は雨風で錆びて、踏むたびに嫌な音をたてて軋む。
昇りながら覗いた限りでは、上のフロアも全て空っぽみたいだ。
時間もあってか、死んだように静かだ。
こんな場所、なんの価値があるんだろう?

このビルのオーナーはメルビンという年金暮らしの老人だった。メルビンはビルは持ってるが運用するつもりはなかった。当然、こんな所に買い手も借り手も現れなかった。
が、半年ほど前に屋上に看板を取り付けたいという企業が現れた。これといったリスクもないので小遣い稼ぎにとメルビンは了解し、看板はすぐに取り付けられた。
広告の効果は未知数だが、程なくして密告の電話がかかった。
内容は高さ制限についてだ。ここらは安全と景観を守る為にと建物に高さ制限があったのだ。その制限に看板ひとつ分超えてるとの指摘だった。
それは確かに違反は違反だが、その制限事態が定められたのが旧く、内容も前時代的なもので、余所ではとっくの昔に改正されてるような制限だった。
それが未だに改正されてないのは改正しようという人間がいなかったから、ならば自分がなろうとメルビンは決めた。
こうして開かれた裁判は暇な年寄りにはちょうどよい刺激と難易度であり、関係者はすんなり改正されると予想していた。
脅迫事件が起こるなんて予想外だった。
初めは警察も取り合わなかったが、脅迫はみるみる悪化し、犬の死体が投げ込まれるようにまでになる。これにメルビンは折れた。
とは言え、撤去予算でメルビンと広告主がもめて、そもそも緊急性が低いこともあって看板は未だに残っていた。
撤去を求める匿名電話は続いてるらしい。
この件はニュースにもならず、頭のおかしいやつもいたもんだ、で済まされていた。
私達だって、会議がなければ来やしなかった。

屋上への階段には鉄格子の扉が、鎖と錠前によって封じられていた。
それも外してくぐってかけ直し、屋上へ。
階段は大体正方形な屋上の南西角の南側に出た。
そこには軋んだ手すりに草の生えたコンクリート、錆びた室外機があった。
ただ、なんだかんだ言って見張らしはそれなりには良かった。
見渡す限りに広がる廃墟、古くて朽ち始めてるのに歴史しかない。その果てには真逆に最先端の高層ビルが、まるで壁のように建ち並んでいる。その煌めくガラス窓が綺麗だ。
振り替えれば看板の裏側、ボルトで固定した骨組みにビニールみたいな布がはってある。どれも真新しく、浮いてる。
これがなければ会議場までも見えてるはずだった。
つまりは、看板は会議場に向けてのものだ。そう考えれば、こんなところに作っても違和感はないのか。
考えながら何となく頭に地図を思い浮かべる。
看板が向いてる方、東側に真っ直ぐ進むと広い川があって、それを渡った対岸には、また一風変わったビル群が並んでいるらしい。
高さや機能性よりもデザイン性を狙った観光狙いの一画だ。その中で一際広く、全面ガラス張りを多用した建物にて、この朝から国際会議が開かれる。
なんの会議かイマイチわからないけど、主催国の内も上から十番目に偉いのが参加する辺り重要なのだろう。
その分、警備も厳重なんだけど、残念ながらここらはその管轄からは遠すぎて外れていた。
そんな場所でも念のため、というらしい。
「にしてもねぇ……」
(エリアどうかしましたか?)
(あ、いやね。こんなところになんの意味があるのかなって。狙撃とかかな?)
(それはあり得ません。撃って届く距離を基準に警備の管轄が決められてますから、そこからでも届きませんよ)
(だよね。だったらミサイルとか?)
(それもないかと。これ程離れていれば着弾前に見付けて撃ち落とせます。第一それらとしても、看板をどかす意味がないです。自分が移動すればいいのですし)
(だよねー。だったらなんだろう)
(現段階では何とも。ただあと数時間で正面玄関、こちら側に向いたステージで参加者が一同に並んでの挨拶があります。その後は室内で、少なくともこちら側に出てくることはないので、何かあるとすればその時までにかと)
(そこまで見張れば指令は完了?)
(会議が終わるまでですので、お昼過ぎまでですね)
(了解、長いね)
(睡眠、栄養、共に問題ないはずです。娯楽は、視覚、聴覚が制限されるためそんなには)
(でもこうしてイゼベルとのお喋りはできるんでしょ?)
(そうですね。情報の密な交換ということです)
(ところでさ、この看板って何の宣伝?)
(それは今回の指令と関係ありません。誰か来ました)
(え、あ、うん。何だって?)
(一階、ビル正面にワゴン車です。男が四人、大荷物で今ビルに入りました。対応して下さい)
(あーもう。了解)

「あのすみません」
「うわっ!」
鉄格子の向こうの作業着の男は驚き飛び退いた。一瞬遅れて大きな鋏みたいなチェーンカッターから切断された鎖がガシャリと滑り落ちた。
「あの、何をなさってるんですか?」
「いや、あの」
チェーンカッターの男がシドロモドロで振り替える。後ろの同じ作業着の二人も見るからに戸惑っていた。
ただ、最後の一人、四人目は無表情でなに考えてるかわからなかった。
長い黒髪を後ろで束ねて、眼鏡で出っ歯な色白だ。背は高くなく、スーツにカメラをぶら下げている。外国人っぽいけど何処の人だろう?
考えてると、その外国人が右側の男を小突く。小突かれた右側は慌て後ろのポケットから書類を引っ張り出した。
「俺たちは上の看板を解体するようお役所から言われてきたんだ。必要な書類もここに揃ってる」
そう言って書類をかざして見せる。
(エリア偽造です)
(わかってるよ)
「それで、そちらは?」
チェーンカッターの男に聞かれて、予め用意してあった嘘をつく。
「私は、上の看板の広告会社から来ました。現場の視察前に下見しろと、新人なもので先に待ってろと」
中々の設定だ。
それに男達は困惑してる。ただ、外国人だけは無表情を保ってた。
「そんなこと言われても、こっちは朝一でやれって言われてんだ。悪いが仕事させてもらうよ」
そう言ってチェーンカッターの男は鉄格子を開けて入ってくる。
(エリア止めてください)
(わかってるってば)
「待ってください。たしか向こうの会議でここらの工事は禁じられてるはずです。もうすぐ上司と、役所の人も来ますのでそれまでは入れるわけにはいきません」
これに男たちの顔色が変わった。どうやらダメなことは知ってたみたいだ。
返事が返ってこない中で、外国人が無言のまま、他を押し退け前に出てきた。
そして眼鏡越しにこちらを見上げてくる。
「……何ですガッ!」
つき出された外国人の右拳が鳩尾を打っていた。
痛みに思わず目を見開く。
だけどすぐに収まった。
「いきなりなにするんですか!」
この体は痛みは感じるけど、それ以上はない。少なくとも内臓がせりあがって息ができなくなるような機能は付いてなかった。
むしろ殴った方が痛そうなのに、外国人は無表情をキープしていた。
無言のまま、外国人は一歩退いた。
気まずい沈黙、でも被害者はこっちだから強気でいられる。だけどこの程度なら撃つのは不味いかな?
エリアに訊こうか迷った刹那、外国人の小さな体が電光石火に動いた。
両手でそれぞれこちらの左襟と右袖を掴むと巻き込むように半回転、気がつけば投げ飛ばされていた。
飛んでく感覚、世界が回る。
逆さの風景、こんな体でも、脳は時の流れをゆっくりにした。口を開けて驚く男ら、足元には大荷物、手すりも抜けた。
手すり?
気がつけば手の届かぬ距離まで飛んでいた。
眼下にはアスファルト、そこに止まるワゴン車が見える。
私は、外まで投げ飛ばされていた。
怪力か、空手か、はたまた忍術か、重いはずのこの体は手すりを超え、道を渡り、落ちていった。
コートが風を受けてキリモミに、自分がどう落ちてるかもわからない。
(エリア受け身を!)
悲痛な叫び、衝撃、激痛、意識が飛んだ。