「パブリックエネミー」血液経済 下

女ブタイは体型通り足は遅かった。
おかげで曇ったままでも余裕で逃げられた。
それで、逃げ込む先は、トイレだった。

 


今回みたいなホラー系でトイレに逃げ込むのは助からないジンクスだとは知ってる。とは言え、水道といえばここしかない。
判ってはいても、それでも男子の方に入るのには気分の良いものじゃあない。見たことないのがならんでるし。
(建物から出た訳ではないのでそんなに時間的な余裕はありませんよ)
(わかってるよイゼベル)
答えながらヨロヨロと個室に入って鍵を閉める。
水は……よかった、タンクのが使えそうだ。
音の出ないよう、そっとタンクの蓋を外す。
中には水と、よくわからない袋が入ってた。よく見えない。
水をすくってカメラを洗う。
ガラスを擦っても落ちた感じはしないがそれでも視界は格段に良くなった。
手短にあったトイレットペーパーで拭うと、まだ指やら髪やらにベッタリみたいだ。
まぁ、見える。
なら、戦える。
ペーパーを丸めてタンクに投げ入れる。と、中にビニールの袋と、何かのチューブがあった。チューブは透明で、たどってみると先は壁の中に続いていた。チューブは正体不明のままにして次だ。便座に腰を下ろして、袋を開けて見る。防水仕様の中にはガーゼと、献血用の針に接着剤が入っていた。
(あのイゼベルこれって?)
(……探し物です)
(あの、何、設備が云々って何だったの?)
(…………はい)
(いやはいじゃなくてさ)
(一つ、仮説がヒットしました。エリアに確認してもらいたいことがあります。えと、事務所に)
ガツリと鼻先に尖端が飛び出した。見覚えのある杭は薄いドアを貫いて七割ほどで止まっていた。
もうきたか!
袋をコートのポケットにねじ込み、代わって銃を引き抜きながら立ち上がる。
ドアは外開き、鍵は安物、前蹴り一つで派手に開いた。
その先、洗いたての眼に映ったのはもちろん女ブタイだった。肩を揺らして、汗だくの口は掛け声でなく洗い息を吐き出していた。
それでも震える手で銃口を上げる。
その引き金が引かれる前に飛びかかった。
銃を押し退けぶち当たり、ふらついたところを足で払った。
女ブタイは綺麗に転んだ。その上に馬乗りになって、まだ喘いでる口の中に指を突っ込んだ。
バチリとやったらブルルと震えて、動かなくなった。
口から指を引き抜くと、これまた糸を引いていた。
ばっちー。
もう、また手を洗わないと。

イゼベルがハッキングして電子キーをこじ開ける。
中央、一番新しい建物の一階、食料品売場の奥、スタッフオンリーのドアを抜けて段ボールを山積みにした倉庫を抜けた先、セキュリティルームの隣に事務所はあった。さして広くない室内に雑多なファイルとパソコンに埋まった机が並んでいた。その下敷きにパソコンが埋まっている。スマート、とは言い難い仕事場だ。
その更に奥、分厚い扉を更に時間を駆けて開いた小さな空間に、お目当てのパソコンがあった。変に厳重で、機種も見たことない。
(コレ、どうすればいいの?)
(このパソコンなら、エリアを通してなら遠隔ハッキングができますね)
(あ、何にもしなくていいんだ)
(はい。こちらで全部やりますので、エリアは周囲の警戒をお願いします。多少の距離なら、通ってきた倉庫ぐらいまでなら離れても大丈夫ですので)
イゼベルが伝えると同時に、独りでにパソコンが立ち上がった。画面は青く、白い文字が走ってる。
(了解でーす)
と、答えたものの、正直釈然としない。
何て言うか、吸血鬼となれば普通はゴシックか、サイバーパンクな感じだと思ってた。少なくともこんな庶民的な商業主義は似合わない。
これも時代か、なんて年寄りみたいなことを思いながら倉庫まで戻る。
積み上げられてる段ボールのラベルによれば、中身は野菜みたいだ。
そこにズカンと杭が貫いた。
「逃がしませんわ吸血鬼!」
振り返れば三度目の女ブタイがいた。
息は切れてないが汗だくのままで、肌は赤く火照っていた。
「わたくしをあんな所であんな風に辱しめて、こんな屈辱、初めてですわ!」
女ブタイが吠える。
「貴女の罪は万死に値します! わたくしの全力で吹き飛ばして差し上げますわ!」
女ブタイが銃を投げ捨てる。そして喉元からファスナーを下ろして谷間を曝す。腹の肉付きもあるのか、かなりはっきりと谷間があった。その谷間に、何処からか出した杭より細い、金属の筒を突き立てた。
プシューと音がして、女ブタイが震えた。
「頂上への雫、ローズパワーパンプアップ!」
芝居がかった台詞でカランと筒を投げ捨てると、変化はすぐに現れた。
ブルリと肉が震え、波打ち、流動して隆起した。
雫形だっただらしないぜい肉は逆三角形の引き締まった筋肉と成った。
そして女ブタイはゴリラと成った。
「こうなっては貴女に勝ち目はありません」
静かに言う声は変わっていなかった。
そして次の動きに反応できなかった。
まるで獣ような躍動であっという間に距離を詰められた。
それにやっとなんとか腕を上げてガードを上げた時には、その太くなった拳が放たれていた。
衝撃。地面が消え、段ボールに激突して沈んだ。遅れて痛みが走る。
「ローズパンチブロッサム!」
声が遅れて聴こえてきた。
フレームが歪んで体が軋んでるのがわかる。
(何よあれ)
段ボールを掻き分けようとしたら右腕が動かない。壊れた。このオンボロ!
(エリア!)
「ローズメテオバスター!」
巨体が跳んでいた。
段ボールに沈んだ体は抜けられない、逃げられない。
ならもう、容赦はしない。
左足の爪先から刃を出して槍の如く突き上げる。
串刺しにしてやる。
なのに足は、ヘソの硬さに負けて膝から外へベキンと折れた。激痛に叫ぶより先にグシャリと肉に押し潰されてた。
圧迫感より激痛、頭に初めて出るようなアラームが響く。視界がぐらつき、片目にヒビが走った。
肉が退いても動けない。
まだ無事な左腕が捕らえられ、吊り上げられると、目の前に顔があった。
筋肉ダルマに進化した女ブタイが何か言ってる。だけどマイクもやられたのか何も聞こえない。
そして拳が引き絞られる。
あ、終わったかな。
指のスタンガン、それどころか指すら動かない。
腹のレーザー、今さら充電してるが間に合うはずもない。
手詰まり、だけど目は反らさなかった。
見つめる先……………………拳は飛んでこなかった。
ポイ、と投げ捨てられる。
そして女ブタイはフラフラと背を向けて行ってしまった。
……助かった?
(エリア大丈夫ですか!)
(大丈夫じゃないけど、なんか行っちゃった。ダメージは酷い、です。足も手も折れてマイクも聞こえないです)
(マイクは、こちらで切りました)
(え、それって、どういう?)
(ようやく吸血鬼の正体がわかりました)

白い世界でイゼベルを待ちながら、コールタールみたいに濃くて甘いコーヒーをすする。
そして何度となく折れたはずの手足を動かしてみる。痛みはない。ここでは万全だけど、あっちの体は修理は大変だろうな。
「報告、終わりました」
イゼベルがいつの間にか後ろにいた。
「エリアはこの後検査を受けてもらいます」
「それって手足の?」
「いえ……最初から話しますね」
「最初って吸血鬼の正体から?」
「そう、ですね。結論から言えば吸血鬼はいませんでした」
「でも、血は盗まれてたんでしょ?」
「今回の事件は血がメインではありませんでした。むしろ記憶を弄った方がメインですね。今回の原因は暴走した商業主義にありました」
「哲学?」
「いえコマーシャルです。それも最新の、サブリミナルを用いたものです」
「あーーーそれって、催眠術みたいのだっけ?」
「だいたいそんな感じですね。音楽や映像に知覚できるギリギリなメッセージを仕込んで暗示にかける、あれです」
「あれ? でもあれって?」
「はい。一般的にコマーシャルにサブリミナルを用いることは規制されています。ですがそれを監視する機関はありません。ましてや店内のものとなるともうお手上げです」
「それがあちこちにあったデスプレイから流されてた」
「BGMもです。それもかなり強力で速効性のあるのをです。そこまで必要だったかは疑問ですが、そのお陰でキャッシャー嬢をなんとかできましたが」
「きゃっ……何?」
「襲ってきた彼女のことです。公の身分は外交官で、何でも向こうの貴族の末裔なんだそうです」
「貴族、ねぇ。その貴族様はあそこで何を?」
「それはわからないことになってます」
「なってます?」
「お互い詮索しないことで上はまとまったみたいなんですよ。勘違いだったんだからこちらも忘れるからサイボーグのエリアも忘れろ、ですね」
「大人の事情?」
「高度な政治的棚上げです。それでも、向こうは戦闘で圧倒してたので勝ち誇ってたみたいですが、シャッターの前で新商品のコーヒー待ってる方がよっぽどみっともないです」
「ひょっとして怒ってくれてる?」
「当然です。あんなに酷くやられて、しかもあんなニンニク液までかけられて」
「ニンニク?」
「あのはしたない白い液ですよ」
「あ、あーそれで居場所バレたのね。機械だと臭いわからないから。はしたない?」
「兎に角、です。今回は吸血鬼何かではなくて、強欲な資本家がやらかした犯罪だったのです。後は第三者がたまたまという形でリークして、裏の仕事はおしまいですね」
「待って。じゃああの血を抜くのはなんだったのよ?」
「あれば普通の売血です。欲をかいたんでしょう。サブリミナルでトイレに誘導して血を抜かせて、いえ血を盗んでたんです」
「え、じゃあ自分でやってたの? 治療も? そんな強力なの?」
「そうです。ですからエリアにも影響が無いかを検査しないといけません」
「そんな、大丈夫でしょ。BGMも切ってくれてたみたいだし」
「サブリミナルはそれだけだったとは限りません。それに、失礼ですがエリア、あなたは何で普段は飲まないような濃いコーヒーを飲んでるのですか?」
「それは、これはイゼベルに」
「いえ、このコーヒーはエリア自身が注文したものです。その自覚もないのですか?」
「………………まじ?」
「エリア、検査しましょう」
「あ……うん。宜しくお願いします」
「はい。では早速」
「あの、イゼベル?」
「何でしょう?」
「その、優しくしてね」
「……当然ですよエリア」