「パブリックエネミー」モンキーレンチ上

 よく晴れた休日の昼前、都市の中心にあるこの公園は、やたら広いくせに人でごった返していた。それも子どもやカップルや学生やらではなく、アーティストだかパフォーマーだか、水着だかドレスだか鎧だかメカだかネコだか魔法少女だかバンダナカメラだかであふれかえっていた。入り口にはナントカコスプレ祭りとあったが、そっち方面に理解がない私としては他の星に不時着したのと大差ない。
 (次の三叉路を右です)

 


  頭に響くイゼベルのナビで、ここは地球だったんだー、と思い出す。
 (ねぇ、何でここなの?)
 思わずイゼベルに問いかけてた。
 (ここは監視カメラもなく、撮影に制限があって、人の出入りも多い。しかもボディーチェックもない、云わば都会の盲点なんです。秘密に会う場所としては一番人気です)
 真面目に答えられてしまった。
 (エリアの居心地が悪いのは解りますが、これも指令なので)
 (わかってるよ)
 (それに、今回は楽な指令ですよ)
 (まーね)
 答えながら視線を左手に吊った銀色のアタッシュケースに落とす。指令はこれを指定された時間、場所にもって行き、指定された人物に渡すだけ、いわゆるお使いだ。何でこんなことをするのか、中身は何かは知らされていないし、知らないままでいるのも指令の内だ。ただ、サイズの割には軽く、そのくせ2つの鍵穴に12のダイヤルロックと厳重だ。発信器まで内臓していていらない好奇心が働いてしまう。
 (開けちゃダメです)
 (……はい)
 親愛なる我がナビに釘をさされて諦める。
 我慢できてる内にさっさと終わらせて帰ろう。足早に目的地に向かう。
 指定された場所は木々に囲まれた休憩スペースだった。蔦を這わせて作られたか屋根の下には金属製の椅子と丸テーブルが乱雑に並んでいた。メインの広場から影になってるからか人の姿は疎らだった。
 その中心に陣取ってる男がいた。
 ひげ面の男はパーマのかかった頭に白のタオルを頭に巻き付け、太った体に黒いTシャツを着ている。そして目の前のヌードルを睨みながら腕組みしてる。
 指定通りの格好だ。少なくとも指令以外でこんなシチュエーションは無いだろう。
 側に近寄ると向こうも気が付いて目があった。
 (イゼベル、顔のチェックを)
 (了解。事前の顔パスと照合。マッチしました)
 顔パスって言うんた。まぁいいや。次は、バスワードだ。頭の中にあるメモを読み上げる。
 「魚介系スープですか美味しそうですね」
 「豚骨鶏ガラ合わせ味噌仕立て醤油いり減塩だ」
 「すみません。私の鼻は腐ってるようです」
 短いながらムカつくパスワードは合ってた。あとは、渡して終わりだ。
 ひげ面の前のテーブルにドカリとケースを置く。
 「何のコスプレだ?」
 「何です?」
 今のはパスワードになかった。
 「なかなかセクシーじゃねぇが」
 ただのセクハラだった。相手にする必要はない。踵を返して一歩、その背中にひげ面は続ける。
 「サイバーパンクの全身整形ってか!?」
 ゲスなその一言にカチンときた。好きでこんな格好してんじゃない、そう言い返そうと振り返る。
 と、目の前に知らない男が立っていた。
 灰色のパーカーにフードとサングラスで顔を隠し、右手には逆手に持ったナイフを振り上げ、降り下ろすところだった。
 油断してた。
 たかがセクハラ発言で背中とられるなんて。
 反省よりも先に体が動いていた。
 降り下ろされる相手の右腕を左手の甲で外へ弾き、同時に右の掌打で顎を打ち上げる。
 クリーンヒット。鈍いサイボーグのセンサーでも、骨が砕けたのが感じる。吹っ飛んだ襲撃者はドサリとテーブルに倒れて、そのまま動かなかった。
 反復練習の勝利だ。
 「た、たひゅけて」
 間抜けな声、見ればもう一人、紺ジャージにベレー帽がひげ面に襲いかかっていた。降り下ろされたナイフを何とか両手で防いでるが、みるみるうちに傷が増えてゆく。
 二人が近すぎて銃は使えない。右足の爪先から刃を出し一閃、蹴り上げる。
 が、後ろからの奇襲なのに紺ジャージはひらりとかわす。そのまま振り返らずに下へと落ちるとテーブルの陰に隠れたまま流れるような動きで逃げてゆく。しかも、その影は一つじゃない。ようやく抜いた銃が狙いを定める前には既に全ての影がテーブル下を抜け出し、向こうの茂みに飛び込んでいた。
 逃げられた。
 舌打ちしながら銃を下ろす。そして仕留めた方、パーカーの襲撃者へと視線を移す。動きのないそいつは、上半身しかなかった。違う、パーカーの裾から少し茶色の足がのぞいてる。ナイフを持ってたても同じく茶色で毛だらけ、人のものには見えない。恐る恐る、さっき潰した顔を覗いて見ると、サングラスが外れた顔上半分は、猿だった。正確には類人猿だとは思うけど、自信はない。猿詳しくないし。
 猿? 猿。猿だ。
 まぁ、サイボーグの私がいるんだし、猿が何かの機密を狙って襲いかかってもおかしくないのかな。
 (エリアケースが!)
 声にはっとする。慌ててテーブルの上に目をやるが、あるのはひっくり返ったヌードルだけ。這いつくばって探してもあのアタッシュケースは消えていた。
 「俺は、触れてない」
 ひげ面が言う。
 「だから俺はまだ受け取っていないんだ」
 この言葉に、顔を上げひげ面を見る。
 「俺は、お互いにパスワードで確認するとこまではやったが受け取っていない。だからまだ、ケースの責任はそちらにある。こちらに、一切はない」
 ひげ面は両手で両手の傷を押さえながら、はっきりとした口調で断言した。さっきまで助けてと言ってたその口で。
 (エリア)
 「わかってるよ」
 返事する相手を間違えて、声にだしてた。それを聞いたひげ面はニィと笑って、何かを言った。

 猿も人混みを避けてるらしく、これとあって騒ぎにはなってなかった。
 イゼベルが言うには、責任問題はひげ面に歩があるらしい。不本意ながら追いかけるしかない。
 幸い、避けられたと思ってた足のナイフが猿をかすってたみたいで、地面に点々と血痕が続いた。
 それをたどって走る。
 茂みを飛び越え林を抜け、公園を出て車道を渡りビルの影になった小道へ曲がる。少し入った所の、蓋のずれたマンホールで血痕は終わってた。
 何処に行ったか明らかだけど、一応確認する。
 (イゼベル、この下?)
 (はい。でも電波が弱くて、降りないと追跡は難しいです)
 (ごめん、私が余計な時間盗ったからだ)
 (いえ、あれは仕方ないです。まさか倒れてた襲撃者がいきなり起き上がって、彼にあんなことするなんて、予測は不可能です)
 (あー……そういう事にしてくれるんだ)
 (彼の自業自得です。それよりもケース、まだ移動していて、早くしないと見失います)
 (わかった)
 答えてから下水と彫られた蓋を外し、錆びた梯子を降りてゆく。
 (エリざざ)
 (イゼベル?)
 声にノイズが入る。
  (ざざざ下水は電波状態ざ悪くざざ以上ナビざざ難です)
 (みたいね)
 (レーざーはそちらにダウンロードしていざ)
 (レーダー、確かに、見えてる)
 (急いざ。気をつけて)
 (わかった)
 返事と共に床についた。頭にはもうノイズしか入らない。
 ここからは一人だ。
 通信機を切って、下水道の暗闇へと踏み出した。

 暗視システムで見る下水道は最悪だった。汚水はもちろん、ゴミ、カビ、ネズミ、ゴキブリ、何かの残骸、何かの亡骸、その他正体を知りたくもないものが足元で蠢いてる。悲惨なそれらは見ただけで、センサーのないこの体に、ありありと悪臭を伝えてくる。
 初めは目を背けて走ってたが、ヌメヌメした新聞紙をふんずけて滑って転んでコートを汚濁色に染めてからは、忍耐の大切さを学んだ。
 それからずっと、かれこれ20分は追跡してる。
 道としては曲がりくねってはいるけど一本道で、迷いようがない。ただそのぶん単調で、それがまた忍耐を必要とする。
 「猿いい加減にしろよ」
 声が出るほどうんざりしていると、やーーーっとレーダー上の発信器が止まった。直線距離で100メートル、曲がり角を入れて倍くらいか。
 終点だろうか、あるいは発信器が外れたか、罠かもしれない。
 久方ぶりの変化に思考を巡らしていると、T字路にぶつかる。電波が来ているのは左、そちらから仄かに光が見える。
 猿?
 走るのを止め、歩きながら銃を引き抜き構える。そっと角へ背をつけ、顔だけだして先を覗く。
 光は、開いた天井のマンホールからだった。そこから降りてくる影、着地してるのも含めて6つほどが蠢いてる。
 彼らはみな人間だった。人種、性別、年齢はバラバラだが、みな共通してヨレヨレの服を着ている。
 こんな場所でこのタイミングで現れて、無関係とは思えない。警戒せねば。
 最後の一人がマンホールを閉じ降りてくると、下の一人がライトを点ける。その光を先導に、集団がぞろぞろと奥へと進む。
 私は銃をしまい、そのあとを静かに追った。
 しばらく行くと今までの3倍は広い通路に出た。そこを発信器の方へと迷い無く進んでいる。
 通路には左右にいくつもの小道があって、そこから似たような集団がどんどん合流してくる。気が付けば私は、その集団に囲まれていた。
 イゼベルのサポートがないとすぐこれだ。自分に嫌気を感じてると、影になってたすぐ横の小道からまた別の集団が現れた。
 一瞬身構える。が、相手の方は気にする風もなく、虚ろな目で私を一瞥すると、何も言わずに前を通りすぎていった。
 何なんだろう。
 「新人かい?」
 「え?」
 声をかけてきたのは集団の最後の歯のない老人だった。
 突然の質問に何とか答えるべきか。
 「……始めてきました」
 無難に返した。
 老人はそうかそうかと頷くと、ついてくるよう手招きした。
 それに従い老人と並んで歩く。
 「気にせんでも誰かについてけば彼に会えるし帰りもそうだ。最悪適当にマンホール開ければ外には出られる」
 「はぁ」
 色々聞きたいが怪しまれてもアレなので頷くだけにしておく。
 と、不意に広い所にでた。体育館ほどだろうか、中には沢山の人と、猿達がいた。みな静かに一点を見つめている。その視線の先、部屋の中心には、天井からスポットライトのように光が射している。それに照らされてるのは沢山のアタッシュケースだった。一段高くなったそれらは組み合わって玉座みたくなってる。そこに座するのは一匹の猿だった。
 チンパンジーに見えるが、頭には針金でできた鳥の巣、手にはタイヤレバーを抱えている。
 畏怖百々と構える姿は王さま気取りだ。
 その前に人間たちが仰々しくアタッシュケースを指さし出す。
 それを見て王さま気取りはタイヤレバーを掲げて見せる。心得たように人間たちがケースを置き離れると、猿らしく軽やかにそのケースまで降りてくる。そしてタイヤレバーを床に置くと、頭の鳥の巣、王冠のつもりらしいが、そこから一本、針金を引き抜き、アタッシュケースの鍵穴へと差し込む。数秒でケースは開いた。そして中から高々と白い粉の入った袋を取り出すと、皆に見えるよう掲げて見せた。
 喚声が沸き上がる。人や猿が一緒になって、中には涙するのもいる。
 ここは、異常な熱気に溢れていた。
 「彼は、救世主だ」
 まだ隣にいた歯のない老人だった。私には見もくれず、誰に語るでもなく語り始める。
 「ここらの麻薬ディーラーは悪どいやつらばかりで、初めは全うな値段で混ざりものなしの薬売る癖に、いさジャンキーになったら足元見やがって、健康のためとかいってほとんど粉ミルクの袋を十倍で売りつけてくる。俺たちは泣き寝入りしてたさ。そこに彼が現れた。彼は薬で仲間になった他の猿達を引き連れ、ディーラーから薬を奪うと俺たちに分け与えてくれたんだ。優しいじゃねぇか。確かに一度の量は少ないけどよ、それは襲える取引が見つからないからで、俺たちがもっと努力して取引の情報、別に具体的じゃなくても、できそうな場所、埠頭とか公園とかイベントとか、教えておけば張り込みしてくれるんだ。あとは取り戻して、彼が開ければみんなハッピーだ」
 一気に喋って疲れたのか、あるいは単に興奮してるだけか、老人は肩で息をしていた。

 2に続く